海外現地のJazzBarが熱かった話~NY編~

NYの話です。

いま大変な中にある街。

いま、世界各国の深刻な状況が映し出される中でも
2020年4月現在、最も先が見えず苦しい事態に陥っている
都市のひとつ、NY。

タイムズスクエアに代表される、
世界を代表する大都会のあの活気が
今はロックダウンによって
ゴーストタウンのようになっています。

でも、きっとこの街は、この逆境に屈するのではなく
何らか新しい形で、希望のともるような形で
この難局をサバイブしていくんだと思います。

そう信じたい。

あの地を訪れた人ならば思い当たるところがあるのでは
ないでしょうか?

NYにはそういうパワーがある。

愛や、思いやりや、タフさや、ユーモアなど
人間の粋なところがつまった街なんですよね。

911以来の街の危機ではあると思いますが、
絶対タダでは起き上がらないに違いありません。

だからこそ、いまの日本のきびしい状況もかんがみて
参考にしたいし、応援している、という思いです。

自由と愛と誇りの街


わたしはNYをそうとらえます。
住んだことはないのですが、2005年あたりから
まとまった休みが取れればNYへ出かける、という時期がありました。

最後に訪れたのはもう5年近く前ですが
その記憶はすぐにでも戻ってきます。

音楽や映画、演劇、ダンス、アート全般などのカルチャーに興味がある人なら
たぶんあの街に一度行ったきりで「もういいや」という人は
ほぼいないと思います。

私は1回目では手に追い切れず情報オーバーでしたが
2回目あたりからのびのびと楽しめるようになりました。

小さなミュージックバーやクラブ、シアター、スタジオなど。
こんなところにカルチャーの宝物があふれているんだなあと
それを発見させてくれることにうれしくなったものです。

まるで、何回も行くにつれて、その経験にみあったご褒美を
くれるような街なのですよね。

NYは本当に特別な街。

生きるエネルギーに満ちる街

NYには単に「都会」ということではないエネルギーがあります。

音楽であれ、絵であれ、演劇であれ、
とにかく活気とレベルの高さに驚かされるのです。

その場にいる人みんなでカルチャーをわかちあう空気

そして、お客さんもすごく能動的。
ステージにいる人も、見に来たり聞きに来たりする人も
その場に参加する人
なんです。
上下も区分もない。

カルチャーをその場にいる人たち全員でシェアしている感じ。

カルチャーはアーティストだけでは成り立たない。
カルチャーをちゃんと理解し、
感じ、愛し、呼応するオーディエンスがいてこそ

なんだなと強く感じました。

圧倒的なパフォーマンスや、それにこたえる歓声などから
その空気が伝わってきます。
下の写真は、Barやライブハウスが立ち並ぶ
グリニッジビレッジにある「Bar ZINC」。

キューバ音楽からスタンダードジャズまで
多彩なミュージシャンが毎夜熱いステージを
繰り広げます。
毎回必ず足を運ぶお気に入りスポットです。
照明の暗さといいいお酒のおいしさといい
気取らないけど気が利いている、粋なお店です。
ひとりで行っても居心地がいいのです。

お客さんもフレンドリーな人が多い気がします。
深夜2時くらいに、全然知らないお客さん同士
みんなで輪になって踊った記憶があります笑

今ほどまだスマホ革命が進んでいなかったので
(自分が追い付いていなかっただけかも笑)

わたしはいつもタイムアウトNYをドラッグストアで買っては
自分が滞在する(せいぜい)1週間の間にどんなライブがあるかを
1泊30ドルくらいのシェアハウスのせまい2段ベッドで読みあさる
というのを習慣にしていました。

下の写真はかの有名なジャズクラブ「Village Vanguard」
少しかび臭い(笑)ステージは、独特の緊張感と
決して大衆向けではないとがった雰囲気を持ち合わせる
背筋が伸びるような場所。

とはいえ、地元のジャズファンとおぼしき方が
思いっきり居眠りをしていたりもして・・・
楽しみ方は人それぞれ笑 それもNYの好きなところです。

NYのライブはとんでもなく質がいいのに
びっくりするほどやさしいオネダンで
すばらしいステージが見れちゃうのです。

たとえば、ブルーノートNY。
日本の南青山にあるあのラグジュアリー感満載な
ジャズクラブの本家はNYにあるわけですが
ここがだいたい20-30ドルくらいでライブを見られちゃう。

日本だったら3-4倍します。
ただ、こちらのブルーノートは非常に簡素。
ラグジュアリー感などどこふく風。
あれはあくまで東京のスタイルだったのですね。

Tシャツジーンズで気軽に入るライブハウス、という感覚です。
その代わり、演奏は確実に超一流。
ラグジュアリー感はいらないので、見やすい値段で
思い切り音楽を浴びたい私としてはなんとも感動的でした。

これは一例。
日本で海外のアーティストのライブを見るのは
渡航費をはじめいろんなコストが上乗せされてしまうので
ある程度仕方ないんですが、それにしても、
NYの優れた文化へのアクセスのしやすさは神。

文化は贅沢なんかじゃない。日々の糧。

音楽というか「文化」が特別とか贅沢ではなくて
あくまで日常の中にある証拠
なんじゃないかなと思うのです。
そういうの、よくないですか?

とくに日本で、このコロナ禍の中でもまっさきに切られようとしているのは
文化でしたが、
それは「物理的に生きていく上で必要なわけではない」と
みなされたからですよね。

でもね、いやいや、カルチャーって、生きる糧なんです。
生きる希望といってもいいでしょう。

特に、先がどうなるかわからないこんな状況の中では
むしろまっさきに保護したいもの。

文化を大事にしないことは、人間を大事にしないこと。

たとえば、この世界の状況下で、
敵はウイルスなはずなのに、
自分とは違う意見の人を
攻撃するようになってしまうことって多い

ですよね。

これって、

文化や、そこからはぐくまれる想像力や思慮深さなどが
カラカラになってしまうからなんじゃないかと思います。

だから、文化は水や食べ物や日光とおなじく、
人が人として良く生きるために不可欠
だと思っています。

NYもおそらく今、沢山の文化拠点が閉じざるを得ない状況と
思いますが、

特に文化が生活にふかく根差しているNYにおいて
それがどれだけつらく我慢を強いるものか。

東京もつらいですけどね。

文化においてはぐくまれる心や意思は
このコロナ禍においておかしいことに
政治的にも、信条的にも、心情的にも、
きちんと意見をあげることにつながります。

いとおしいもの、大切にしたいものを
さまざまな偏見やメディアが作り出すいろんなトラップの
犠牲にさせないこと。

きっとNYの人たちは、そんな凛とした気持ちをもって
いまはSTAY HOMEしていると思うのです。

この日々が終わったら

本当に、こんな状況が一日も早く終わって、自由に外に出て
思い切りカルチャーを享受する日々になればいいなと思います。

そうしたらもう、「前に戻る」のではなくて
中に閉じこもった時間を経て、
より集中や感謝が深まったりする
ポジティブな面もあると思います。

サバイブすること。
現状をしっかり受け止めつつ、未来を絶対にあきらめないこと。

NYはそんな姿勢をたたきこんでくれるような街だったと思います。

時間は多少かかるかもしれない。

けど、そんな懐の深い街の活気を
過去のものなんかにはしたくないです。

カルチャーがはぐくむ人間の懐の深さ。
そこからうまれる意思や思慮深さ。

いろんな人に体験してもらいたいな。

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